川渡り餅は、11月30~12月1日の二日間です。
11月30日~12月1日の二日間は、川渡もちの日
川渡もちとは・・・
川渡餅の由来は・・・
古くから12月1日を「をとごのついたち」といって、
朝、餅をついて食べる習慣があり、
これを食べると水難を免れることができるとされていました。
この縁起にちなみ、上杉謙信公が犀川を渡って出陣の際、
餅をつき士卒に食べさせて元気をつけ合戦に大勝したと伝えられています。
この故事にちなみこの地方(上越地方)では
12月1日に「川渡餅」を食べ無病息災を願う風習とされています。
3年前の新聞には・・
東日本では水神の縁日である「川浸りの朔日」(かわびたりのついたち)と、
西日本では、一年の最後の一日を「乙子の朔日」(をとごのついたち)と呼び、いずれも餅をついて祝う風習があり水難を避けるという。
謙信公はこの縁起にちなみ川中島の合戦で川を渡る前夜に餅を兵に振る舞い大勝したと伝えられていて、その様子は江戸時代の漢学者、頼山陽の詩に有名です。
[川渡もち由来] 菓子組合案内
高田地方に十二月一日初雪の早暁を破り
「川渡も餅ヤーイ餅ヤーイ」と声も勇ましく売り歩く風習があります。
此の起源は今を去ること約四〇〇年永禄四年越後の上杉謙信公は甲斐の武田信玄公と年来の雌雄を決せんとして出陣し、千曲川をはさみ謙信は妻女山に信玄は八幡原に両軍五万余騎が対陣した時、謙信公、戦い前夜士卒に餅を配り士気旺盛なる威力を以て折からの濃霧の中、川を渡り旧暦十月十日未明武田と激戦の末、勝を得ました。以来春日山城下高田地方の住民は謙信公の戦勝と武勇にあやかる様、川を渡る前に食べた餅を十二月一日「川渡餅」と称して食べ心身の鍛錬とする行ま事を残す様になりました。
ふしきあんきざんをうつのずにだいす
題不識庵撃機山図
べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる
鞭声粛々夜河渡
あかつきにみるせんぺいのたいがをようするを
暁見千兵擁大牙
いこんじゅうねんいつけんをみがく
遺恨十年磨一剣
りゅうせいこうていちょうだつをいつす
流星光底逸長蛇 頼山陽
このような感じ・・・です。
上越地区では、学校給食にも出る名物風物菓子です。
もちやの「川渡もち」は、もち米100%使用モチモチで・・例年人気です。
・・・・無病息災・・武勇にあやかって下さい。
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