2010年11月20日

川渡もち かわたりもち 川渡餅

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11月30日~12月1日の二日間は、川渡もちの日
さて・・
例年ながら・・川渡もちについて・・・・


川渡餅の由来は・・・

古くから12月1日を「をとごのついたち」といって、
朝、餅をついて食べる習慣があり、
これを食べると水難を免れることができるとされていました。
この縁起にちなみ、上杉謙信公が犀川を渡って出陣の際、
餅をつき士卒に食べさせて元気をつけ合戦に大勝したと伝えられています。
この故事にちなみこの地方(上越地方)では
12月1日に「川渡餅」を食べ無病息災を願う風習とされています。


2年前の新聞には・・

東日本では水神の縁日である「川浸りの朔日」(かわびたりのついたち)と、
西日本では、一年の最後の一日を「乙子の朔日」(をとごのついたち)と呼び、いずれも餅をついて祝う風習があり水難を避けるという。
謙信公はこの縁起にちなみ川中島の合戦で川を渡る前夜に餅を兵に振る舞い大勝したと伝えられていて、その様子は江戸時代の漢学者、頼山陽の詩に有名です。


[川渡もち由来] 菓子組合案内

高田地方に十二月一日初雪の早暁を破り
「川渡も餅ヤーイ餅ヤーイ」と声も勇ましく売り歩く風習があります。
此の起源は今を去ること約四〇〇年永禄四年越後の上杉謙信公は甲斐の武田信玄公と年来の雌雄を決せんとして出陣し、千曲川をはさみ謙信は妻女山に信玄は八幡原に両軍五万余騎が対陣した時、謙信公、戦い前夜士卒に餅を配り士気旺盛なる威力を以て折からの濃霧の中、川を渡り旧暦十月十日未明武田と激戦の末、勝を得ました。以来春日山城下高田地方の住民は謙信公の戦勝と武勇にあやかる様、川を渡る前に食べた餅を十二月一日「川渡餅」と称して食べ心身の鍛錬とする行ま事を残す様になりました。

ふしきあんきざんをうつのずにだいす
題不識庵撃機山図
べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる
鞭声粛々夜河渡    
あかつきにみるせんぺいのたいがをようするを
暁見千兵擁大牙
いこんじゅうねんいつけんをみがく    
遺恨十年磨一剣
りゅうせいこうていちょうだつをいつす
流星光底逸長蛇                頼山陽


このような感じ・・・です。

上越地区では、学校給食にも出る名物風物菓子です。

もちやの「川渡もち」は、もち米100%使用モチモチで・・例年すご~~く人気あります・・よ。
・・・・無病息災・・武勇にあやかって下さい。また、ご予約も受けています。
ご来店をお待ち申しあげております。

ブログに起こしくださいます皆様へ、
申し訳ありません、いつもご迷惑おかけしてすみません。
時間をみつけて訪問させていただきます。
ありがとうございます。


コメント[5]

こんばんは。

いつも餡子の色に魅かれます。
美味そうですね~。(^^)
中身のお餅の様子も見てみたいです。

こんばんは

>川渡餅の由来は・・・
古くから12月1日を「をとごのついたち」といって、
朝、餅をついて食べる習慣があり、


京丹後ではこの風習はないです。


>上越地区では、学校給食にも出る名物風物菓子です。


学校給食にお菓子が出るのですか。(^^)

もちこさん おはようございます。

川渡餅は、本格的な冬の訪れを告げる季節の風物詩ですね。

川渡餅は知ってても、由来、故事来歴についての詳細は知りませんでした。美味しいものを食べ、元気を出して、冬を乗り切りたいですね。

こんにちは、いつも有難うございます。

>川渡餅の由来は・・・

興味深く読ませていただきました、当地では、もちを食べる習慣はありませんが、

>西日本では、一年の最後の一日を「乙子の朔日」(をとごのついたち)と呼び、いずれも餅をついて祝う風習があり水難を避けるという。

やっぱり、私の勉強不足かな?

こんばんは。

もうすぐ川渡餅の季節ですね。
あの味を想像して、よだれが出そうです。

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